一周して過剰さから自由になった電気グルーヴの祝いの舞曲『モノノケダンス』

モノノケダンス

モノノケダンス

電気グルーヴという名前には悪魔が潜んでいる。今や日本が世界に誇る(割には相変わらずなパブリックイメージも付きまとう)音楽集団でありながら、同時に音楽以上の「何か」を期待され続ける重いプロジェクトであり、だからこそ石野卓球はある時期からソロ活動や別プロジェクトを気楽にやり、電気には本気で挑む、という切り分けをし始めたのだと思う。常に過剰なのだ。過剰な期待と過剰な音楽こそが電気そのものだった(そしてその頂点が「VOXXX」というアルバムだった)。
しかしようやく一周したようだ、と思ったのは昨年、実に8年ぶりのシングル「少年ヤング」をリリースした時だった。本人達も言っていたが、映画「グミ・チョコレート・パイン」の主題歌として、つまり大槻ケンヂケラリーノ・サンドロヴィッチという「ナゴム同窓会」状態での活動再開は「過剰さ」が皆無だ。「現代版N.O.で頼む」と言われたらしい少年ヤングは、電気特有の過剰さを華麗にスルーしながら、同時に電気でしかありえない音と歌詞(と映像)を具体化することに成功した。
来るべきアルバム(タイトルは「J-POP」というふざけっぷり)の先行シングルとなる本作『モノノケダンス』でもその傾向は続いている。ゲゲゲではなく元祖鬼太郎となる「墓場鬼太郎」のアニメ主題歌でもある本作は、やはり電気でしかありえない音と歌詞(と映像)を具体化しながらも、過剰さは微塵も感じさせない(いや、PVは過剰か……)。水木しげる書き下ろし(!)による石野と瀧が眩しい秀逸なジャケットからも、一周して電気を自然に肯定できた二人のモノノケっぷりが滲み出ているではないか!
思えば「N.O.」も「誰だ!」も「Shangri-La」も「Nothing's Gonna Change」も過剰だった。ほぼ唯一と言ってもいいだろう、過剰さとは無縁だった「虹」から13年ちょい。電気は一周して電気でしかあり得ない場所に軟着陸を果たした。本作はそれを祝う宴の舞曲なのである。

PVはお馴染み特殊漫画家、THE天久聖一の渾身の作品。相変わらず天才すぎるwww 小ネタ満載、かつオチがあまりにも素晴らしいので必見。