技術設計と社会設計の幸せな結婚/古巣のゼミの研究発表を見て後輩たちへの言葉、あるいは神成淳司×宮台真司『計算不可能性を設計する―ITアーキテクトの未来への挑戦』書評

一昨日、僕の慶應義塾大学経済学部時代の住処でもあった武山政直ゼミの、現役大学生による研究発表会を見てきました。テクノロジーやメディアと、社会や生活者との関係性を研究対象とするユニークな視点を持った本ゼミは現在、慶應経済における一番人気ゼミとのこと。それはそれで大丈夫か経済学部、と突っ込みたくなるところですが、経済と社会と人間と技術が細分化した時代において、こうしたブリッジの役割を果たす研究は常に求められるものなのだろうとこじつけておきましょう。
現役大学生による、日常での情報検索の分析(キーワードではなくシチュエーションを重視せよ!)、文脈依存性を利用したメディアによるコミュニケーションサポートの提案、オンラインメディアへの文化人類学的接近、単身高齢者支援としてのICT提案、新聞閲覧デバイスの再定義とプロトタイピング、デジタルサイネージを利用した地域交流、移動交通のメディア化、代替現実ゲーミングの可能性……とまあ、本年もなかなかにまとまっているようなとっ散らかっているような、独特の研究内容となっており、成果発表は大変楽しませていただきました。
さて、ちょうどこうした大学生の研究発表に耳を傾けながら考えていたことは、ちょうど先日読み終えた本の内容との関連性です。

計算不可能性を設計する―ITアーキテクトの未来への挑戦 (That’s Japan)

計算不可能性を設計する―ITアーキテクトの未来への挑戦 (That’s Japan)

関連性は偶然ではありません。恐らく社会的には本書にて、異能の社会学宮台真司の名に乗る形で売り出された神成淳司氏は、慶應SFCの専任講師であらせられる工学博士。前述した我が師、武山政直先生の師匠でもある東京大学名誉教授、石井威望先生のお弟子さんである。武山先生、神成先生共に石井威望流のismを叩きこまれており、その視点に関連性があるのは当然とも言えます。石井先生のお話は一度聞かせていただいたことがありますが、現代のモバイル的な人間の在り方を量子力学的観点から論じるという、非常にアクロバティックな方でした。医学から工学までを修め、多様な学問的バックグラウンドを技術社会へとフィードバックする天才です。
前置きが長くなった。本書は工学博士でITアーキテクトである神成と、社会学者でソーシャルアーキテクトである宮台の対談という形式で、「技術設計の社会(学)的見地」と「社会設計の技術的見地」、双方の必要性を説いた重要なテクストである。コンピュテーションはソーシャルデザインを視野に入れざるを得ず、ソーシャルデザインはコンピュテーションを無視することはできない。にも関わらず、双方のフィールドに立つ人々の交流が現在の日本においては圧倒的に少なく、ブリッジを担う人材の育成が不可欠であるという主張だ(そして宮台は社会学側の担当者として自ら振る舞い、また神成に技術者側の担当者として振る舞うことを期待している、と述べている)。この見地は決して目新しいものではないが、実践として動き始めていることは重要だ。

石井先生は、「SFC東京大学工学部とは違う。東大工学部には伝統と歴史があり、有形無形の蓄積がある。新設のSFCが同じ方向性を目指すのは間違っている。同じ土俵で東大工学部と勝負をしても、勝つのは厳しいのではないか。東大工学部では取り組むことが困難な方向性を目指すのがSFCの進むべき方向性だ」とおっしゃっていました。
私はこの言葉を、大学の中で研究するという従来の大学が目指した方向性ではなく、現実社会の現場初のアーキテクトを育成することがSFCの価値だということを指摘しているのだと認識しています。

技術が「社会の中にある」、という全体性を見通した思想が石井ismにはある。しかし、慶應SFCがこうした方向で研究を進めているかといえば、まだ微妙ではないか――とは先日のSFC Open Research Forumでの彼らのトークセッションで言及されたとおり。社会的全体性を見通した技術者がどれだけいるだろうか?
逆のことも言える。社会が「技術に影響を受ける」、という全体性を見通した思想がソーシャルデザイナーに共有されているか、と言えば否。
ここで、前述の武山ゼミの話に戻る。どちらかと言えば技術に影響を受ける「社会」への視点に立っている本ゼミはSFC的アプローチとは逆側からの試みが多い。しかし、であるが故に「具体的な成果/結果」を示すことが極めて困難であり、その弱点を苦々しく思っている研究生が、少なくともここに一人いた。SFCの連中は「動くものを作ることができる」。そこには断絶がある。
SFC的(あるいは神成的)アーキテクト達が社会的全体性を見通す力を得ようとするのであれば、僕ら「社会研究者」側は現場の視点、技術的素養を常に見通してほしい、と後輩たちに提言していきたい。パワポにお絵描きをして終わり、ではいけない。そういう意味で、昨日の発表ではいくつかの萌芽が見られた。プロトタイピングまで踏み込んだものや、大がかりな現場実験まで敢行したものなど、評価に値すると思う。常に現場とともにあれ、動くものを動かせ、人を動員せよ。アイディアがアイディアのままなら、それは絵に描いた餅でしかないのだから。


なお、神成氏のもう一つの顔を見たい方は、こちらも参考にされたし。僕の仕事の場でもどうやらニアミスをしているようである。一度ご挨拶を――と思っているのだが、今もって叶っていない。
http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0711/01/news009.html