サービスとソフト、対価感覚とウェブ経済圏の話

“神ソフト”に対しては多くのユーザーが「お金を払いたい」と思うが、コンテンツやサービスなら無料で受け入れる。コンテンツやサービスの作成にかかる労力は大きく、ソフト開発よりコスト高な場合もあるかもしれないのに、これはなぜなのだろうか。

物質的・精神的に何らかの効用を持っているものには2種類あります。有形の「財」と無形の「サービス」ですね。ウェブ上でこれを強引に当てはめたとすると、上記の「ソフト」は「財」に当たり、「(ウェブ)サービス」はそのまま「サービス」に当たると考えてよいでしょう(あ、書いた後で思ったけど結構微妙かも)。で、現実経済/社会では、需要に対して供給が無限にある自由財を除き、稀少性原理から「価格」が発生します。
よくウェブの世界(というかネットワークの世界?)で「無料文化」が成長したのは、オープンソース文化が背景にあるとか言われてそれも一因だとは思いますが、この「稀少性」が皆無である点は見逃せないと考えています(この辺の研究ってあるんだろうか?)。これはmp3が普及したときも同じことが議論されましたが、ネットワーク上では無限に同価値のものが複製され得るため、稀少性原理が働きません。故に、あたかも自由財であるかのように流通するため、価格が付き辛いのですね。それでも「ソフト」であればコピー禁止を謳うことで(というか昔はネットワーク回線が貧困だったためにコピー流通が無限ではなかったため)、稀少性を保持することができました。一方のウェブサービスはもう誰が使ってもOKで稀少性は全くありません(せいぜい、あまり多くの人が殺到するとサーバが落ちる、程度)。ソフトだって今や稀少性が消えていますが、そんな時代の名残から、ソフトとサービスで対価感覚の違いが発生しているのではないでしょうか。
さて、上記の記事の元となった、みっくみくな神ツールの作者の話ですが、本当は対価をもらった方がいい、とはてブコメントで書きました。はてブ上でも近い意見は若干見つかりましたが、全体的には「こんな神ツールを公開して無料、対価は『これでいい動画を作って俺をニコニコさせろ』とかカッコよすぎる」という評価のようです。一応、同意はします。でも合成の誤謬。ウェブ経済圏の今後を考えると、効用を持つものには対価を発生させるシステムとマインドを構築/醸成させた方が持続可能性が向上すると考えています。いや、個別具体例で言えば大きなお世話なんですが。さらに言えば別にウェブ経済圏なんて必要ねーよという意見もあるかもしれませんが、経済的に回るシステムを作っておかないといつか破綻するぜ。別にいいよと言われればそれまでなんだけど、未来永劫、ネットでニコニコしたいじゃん。少なくとも俺はしたい。なので嫌われようがなんだろうがこの辺をきっちり考える人と作る人は必要だと思う。投げ銭システムはまだ難しいと思うけど……(違法動画的な意味で)。
お馴染み脊髄反射エントリでした!